読者より送られてきたものです  昭和62年頃のもの

疑惑の森
  “千駄掘はかわいそう”
自然保護の名のもとの行なわれる自然破壊
理念なき政治姿勢の集大成
千駄掘地区にブルドーザーや杭打の騒音が響き始めたころから、その地区の高校生の間で「千駄掘はかわいそうという歌が唄われるようになりました。
自慢の計画行政の目玉的事業であり、自然保護という名のもとに、三百数十億という巨額な予算をかけ自然を保護すると称しながら、自然に対する明確な理念や哲学を持っているとはけっして思えないような行政は、さらに一層推進されようとしています。



松戸議会詳報 1987.3.7(昭和62年) VOL2 (VOL1〜6)

松戸に残された最後の自然地域、千駄掘に暴行を加えるかのごとき「
二十一世紀の森」計画はひそかに進行され、市民や議会が気がついたときはその環境の五〇%以上は破壊されてしまったのです。それはいったいどのような経緯で、またどのような方法で行なわれて来たのでしょうか。
 
国の行政として計画道路、三三七号線が決定されてしばらくたって発表された市の長期構想の中に「二十一世紀の森計画が初めて顔を出しました。
そしてその後、市はその地区の重要性を計画行政のPR紙、
広報まつどにおいて説明し、自然保護運動を進めることを説き始めたのです。
 
[市長の窓]五十六年一月号は新春にふさわしい話題として、豊かな植生に恵まれた千駄堀として、「とんぼ、こうろぎ、かぶとむしなどの昆虫、ごいさぎ、かるがも、ひばり、うぐいす、そしておおたかに至るまで、四十一種類に及ぶ鳥類、めだか、どじょう、かえる、野うさぎなどの動物の棲息地で、市内で最も自然環境の残された地域」と紹介しています。同時に道路計画などによる都市化の波が、いずれはこの地区にも押し寄せることも考えられるので、今こそ決断を持ってこの自然を保護したい・・・」と述べ、「二十一世紀の森」計画を覗かせました。
 
しかし、その後、その自然保護計画は高校生の歌にまで唄われるようになった(※『千駄堀はかわいそう』)激しい自然破壊をともなった開発行為となってしまったのです。
        
公共事業を行なう上に勇気を持って取り組む必要性を、市長はみずから「市長の窓」
五十六年二月号の「市政についての心構え」の中でも述べています。
しかし、この言とは反対に、市長の計画行政の実施の仕方は、一部の非難を浴びても、長期のビジョンや理念にもとずく理由を堂々と述べ、時間をかけて説得するということをせず、しばしば 
行政への協力を取り付けるためだけに用意した、あまり意味も、目的もないような、予算ばかり食う、見掛けだけ立派なお土産を付ける方法を取ります。
それはあたかも手品師が、本当にタネを持つ手は表に出さず、なにもない手を派手に動かしお客の注意を引きつける、というのに似ています。

そしてまた、その計画行政のPR紙、広報まつどの自分の宣伝欄「市長の窓」を通じて、自らが実施したい、金のかかる行政を
市民が望んでいるかのように言いその世論らしきものを味方につけて議会を通す、という方法も取ります。
そして、そのお土産的施設や、自分だけが満足しているような施設の結末がどうなっているかは、市内の随所で見ることができます。
せっかくれるお土産に反対する人が、変り者のレッテルを張られることは言うまでもありません。
 
これらのことから見ても、この大プロジェクトの発想は、ひょっとしたら、たんに三三七号道路計画用地の買収をしやすくするためのお土産、というところからスタートし、その後この千載一遇の道路計画を利用し、市民が望むものと称し、自分だけが悦に入るような、膨大な資金を要する行政「二十一世紀の森」計画に発展させたのではないか、という推測が容易につくのです。
 
都市の動脈としての道路の重要性は市民も十分理解しています。
ですから、その道路計画が貴重な自然保護地域に入り込むとしたら、行政の最高責任者たる者は、自然破壊を最小限に食い止めて、道路との共存を図るべく、迂回道路などを検討することを重要課題としたほうが膨大な予算を消費することもなく、また自然保護にとってどれほどためになったことでしょうか。

先代市長(
・松本市長)であったら、国の道路計画に対し「もしそのために、この松戸の財産を失うようなことがあるなら、そんな計画には協力できない。どうしても協力してほしいなら、道路を地下にトンネルで通せ」と主張し「そのトンネルを非常時には、市民のための核シェルターとする」ぐらいのことを言って松戸市を宣伝したかも知れません。

自然の重要性を語り、それを保護するためと称しスタートさせたと思われるこの計画はその後ひそかに進行し、着工後二年以上を経て、歴史的にも、学術的にも貴重な田や湿地帯のほとんどが埋め立てられ、そして長い時間をかけて成長を遂げた多くの樹木が伐採される、というすざまじい工事を目の当たりにし、自然破壊の現実を率直に感知した高校生の素朴な疑問や、後述の「千駄堀を守る会」の請願によって、はじめて市民の目にとまり始めたのです。
しかし、
着工後二年以上も経つまで一般市民はもとより、議員まで気がつかなかったとは一体どうしたことなのでしょうか。議会は工事予算の執行をチェックできなかったのでしょうか。
 
九千万円以上の予算を必要とする事業は議会にかけられ、議員の承認を得ることになっています。しかしこの事業はいくつもの業者に分散され、予算も九千万円以下の小工事の連続の形をとり数年に分けて人目につかぬように進行させ田舎育ちがゆえにかえって自然の恩恵を感じず、開発だけを偉大なものと信じ、単純に都会の遊園地に憧れるような議員の目をごまかし、着々と既成事実を積み重ね、そのうえで、あたかも計画が始まったばかりのように最近の公報(六十一年十月二十日)の特集で大々的に発表したのです。

はじめから自然に対する認識も、保護しようとする気持ちもない市長なら、まだ話しはわかります。
しかしこの市長は自らまずこの地区を、松戸が誇る自然の宝庫と言わんばかりにその重要性を説き、そしてそれを守るためと称して破壊を始めたのです。

計画行政とは「ごまかしを計画する」行政なのでしょうか
 
自ら自然保護の重要性を説き、自然保護のための行政と称して、自然破壊を行なう、という不可解な市長の政治姿勢に疑問を持った市民団体もありました。
松戸に移り住み、すばらしい状態で保護されている千駄堀地区を知り、そのような自然環境をもつ松戸に住むことに誇りを感じたという人々によって「
千駄掘を守る会」が結成され、六十二年の三月議会に請願を行ない、真摯に千駄掘の現状を説き、市長の政治理念を問いました。
しかし、実体をふかく知ろうともしない、またその環境の重要性も感じない、体制の言うなりの数多くの議員による儀式的、取引的議会運営によって決してエゴとも、言いがかりとも思えないこの請願は、いとも簡単に不採択されてしまったのです。
その議会の建設常任委員会では、体制側のある議員の発言に「自然は金で買うものだ」というものさえあったそうです。
 
しかしその議会の本会議で、ある会派は勇敢にも討論を行ない、その計画の主要問題を問いました。そしてその中で、この公園が何をメインにするのかさえもはっきりしない曖昧なものであることや、その基本設計が表向きは株式会社日建設計となっているにもかかわらず、実は市の職員が行なっているということもわかりました。
 
この大予算をかけ、後世まで松戸の誇りとすることを目的としたプロジェクトの基本設計者までいいかげんだったとは、いったいなんたることでしょうか。
当局が鳴りもの入りでつくったあげくの、
出来損ない行政の見本のような名物駐車場、西口地下駐車場の二の舞にならないと確信があるのでしょうか。そのほかにもこの計画にまつわる噂はいろいろとあります。
 
まだ業者の入札も、指名も行なわれていない
六十一年の秋頃にはすでに、三三七号線がこの森の頭上を越えるための橋梁の施工業者が有名な大手の建設会社であるとの話が職員の間にありました。 

市職員のなかから、この森の芝生地区のに産業廃棄物を投棄した業者があったという話がありました。
もし本当ならば、自然に溢れ文化の香りたかい都市公園(スタートは自然公園)の上で、下に埋められている産業廃棄物、ゴミの香りをかぎながら文化の香りを満喫しなければならないことになります。たとえ噂でもいい気持ちがしません。

松戸議会詳報 1989.3.7 VOL6
 
自然保護とは、自然をいかに自然に近い状態のままに保護するか、ということを最重点課題とすべきではないでしょうか。
みずから認める手を付けてはならぬようなモデル的自然地区にわざわざ手を付けてそれを破壊し、それで自然を守る行政と大見得を切るとは、呆れてなにも言えません。

人工的に造られた自然風なもの偽物はすぐに見破られます。
人間が造ったものだけに、それを維持するためには膨大な人手が必要となり、その管理が緩めば、その荒廃は目に付きやすくなり、いずれは荒れ果てた、人気のない寂しい危険地帯になる恐れもこの公園は十分持っています。
そして長い時間をかけて自然が造ったものでないだけに、近隣にもっと研究された、もっとはっきりとした目的を持った施設ができたら、この何がメインだかわからないような、ただ図体だけ大きいこの施設は、単なる子供の遊び場になることも予想されるのです。
かろうじて残された木々に住む鳥たちも、この広場での野外コンサートを喜んで聴くでしょうか。

前述した討論で「入場料を払っても行きたくなるような魅力のあるものができるのか」との質問にも当局は「自信がない」と答えたそうです。
しかしもう「自信がない」などと言っている段階ではありません。
 
たかが一本の道路計画のために三百数十億もかけ、千古より連綿と引き継がれて来た歴史的自然環境を破壊し地下鉄工事の土砂で湧水を埋め立て多くの生き物の命を奪い本物の自然を壊して偽の自然に作り替え、ちょっと電車にのればどこにでもあるような陳腐な遊園地にしてしまう恐れのある、この貴重な地域にとってあまりにも無惨なこの計画は、誰が望んだのでもありません。
得意の
計画行政の名のもとに、市長、市当局が計画、立案したものなのです。

この地区に道路事業計画があったとすれば、まず自然との調和を図るために予算も時間も十分に使って道路だけつくればよかったではありませんか。
それなのに、それをチャンス到来とばかりに、すぐやる課の松本行政を過剰サービス行政だったとする市長は、恐ろしいほどの資金を要し、だれのためにするのか理解に苦しむような
超過剰サービスをこの道路計画に絡めたと思えるのです。
将来のためといい、二十一世紀という名称を使うなら、それこそ二十一世紀に完成を見るくらいのつもりで、何代もの市長にわたってするつもりで慎重に、良いものを造って欲しかったものですそれは道路や、下水道とは違い、けっして急がなければならない事業ではないのに、何を急ぐのか、誰も気がつかないうちにもう全力で走りだしてしまっているのです。

いつも自分が先頭にたって、自分の能力、センスも省みず、むやみやたらに予算を使い、流行遅れの施設を作りたがる市長に、道路事業にかかったことをもっけの幸いに狙われたことが、この地区の不運でした。
 
それにしても、気がつくのが遅すぎました。
自然を保護するという市長の言葉を信用して、ここまで放っておいたということは、かえすがえすも残念です。

しかし、まだ完全に諦めるのは早いと思います。
まだ時間はあります。

一度失ってしまったら再び元に戻すには、百年単位の時間がかかる市民の財産に平然と手を付けてしまった行政に市民がもっと注目し、「千駄堀を守る会」の「復元できるものがあったら復元し、これ以上の自然破壊はやめてください」 という声を、是非とも実現させたいものです。

そして作ってしまったものに対しては、行革を標傍する市長、市当局をして、絶対にこの公園を 「つくりっぱなし」 にさせず、
限られた予算の効率的財政運用を考慮しつつ、いつも十分に手が入り、立派に維持管理され、それこそ二十一世紀に至っても市民の誇りとできるようなものであり続けさせるべく、市当局をしっかりと見守っていこうではありませんか。
 
松戸最後の自然環境、千駄掘の多くの切り倒された樹木や、生き埋めにされた生物の命と引き換えにつくられたこの都市公園(自然公園ではなく都市公園)「二十一世紀の森」が、・・・ 




単に計画道路「三三七号線」への協力のためのお土産であったとしたら、・・・


道路計画を千載一遇の好機として、付近の調整区域を開発するための単なる伏線であったとしたら、・・・


得意の思い付き的計画行政のPRのためにのみなされたとしたら、そして、利権に絡む同じ穴のむじな達の食い物にされるだけであったとしたら、・・・・


千駄掘はほんとうにかわいそうではありませんか !
 
この計画地域の中にこの自然を生かして経営している民間のアスレチッククラブがあります。
大予算をかけた役所の管理体制による「自然風遊園地」と、ささやかではあるが自然と共存させた民間のアスレチッククラブのどちらに文化を感じるでしょうか。                       
                                        
松戸をよくする会
昭和62年(1986)頃のもの
(本町地域より発信されたと思われるなつかしの怪文書)

道路だけを作り、周囲には手を付けず、自然湧水、自然林等をそのままにして、昆虫採集、樹葉採集の説明をしてくれる学芸員を配置した少年のキャンプ地にする案も出されたそうですが、一笑に付されてしまったようです。
 
 


松戸議会詳報 1989.3.7 VOL6