本町における「松本清語録」
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松本市長時代、本町および周辺において、中部小学校移転にともなう歩道橋設置について反対運動が起こりました(昭和47年)。

本町地域内商店会はその間、またその後も松本市長と会談をしたそうですが、覚えている方から聞いた会談内容は、語録として保存しておきたいものもありました。

当選後、本町商店会に来て
松本市長



ここは(本町)、伝統ある松戸のおおもとだ。
それに引き換え、私は小金から来た。
いわば植民地から来たと同じだ。あなた達松戸の中心の人たちは、植民地のやつに市長になられて悔しくないか?

松本市長


全校にプールを作ると言ったら贅沢だというのがいる。プールを作るのは贅沢じゃない。シーズンオフには金魚や鯉を飼う養魚場にして儲ければいい・・

松本市長


スーパーのなかの赤電話(公衆電話)だって、置き場所を考えれば結構使ってくれる。あれだって10円入れて、使用料は7円なんだから、3円儲かる・・・

松本市長



松戸は全市完全舗装で、舗装率は日本一だ。なかには「なんだ、簡易舗装じゃないか」なんて言うのもいるが、簡易舗装だからすぐ出来るし、壊れてもすぐ直せる。それより、松戸に入れば車が揺れないほうがいい・・・

松本市長

だから私は松戸と他市の境目に、「これより松戸市」 「ここまで松戸市」 という看板を立てた。

たしかに、当時はどこも舗装率は低く、またたとえ舗装はしてあっても、松戸〜八柱間の道路などは、穴の開いていなところを選んで走るのには技術が必要だった。


松本市長



すぐやる課だからって、なんでもすぐやるって訳じゃない。
すぐしなければならないことで、すぐ出来ることは、すぐやりますってことなんだから、そんなに心配することはない。だけど、こういう名前をつけることに意味があるんだ


.
大通り・駅通りの交差点への歩道橋設置反対意思表明に行った際
中部小学校移転の際、学校(PTA)が児童の安全のため、横断歩道橋設置を要請。近隣商店の知らぬ間に市は県から予算獲得。
工事着工
(1週間後!)のための墨出しで発覚。
地元は直ちに市長に緊急面会。
その時・・・

松本市長

だけどそんなものできたって、みんな下を歩いて、歩道橋を渡る人はいないよ.

教育次長 下はガードレールでふさぐから大丈夫です。

松本市長 え?そりゃ大変だ!! それはこまったな!
私も歩道橋は好きじゃないが、○○君が決めて、県から予算を取っちゃった。
でもあなた達が学校と話して説得できたら、止めさせるよ。
行政は強いものの味方だから・・・

その後、直ちに反対署名運動開始。
1ヵ月後、中部小学校と歩道橋計画破棄についての合意はできたが、役人が協定書に判を押してくれないので直訴。

松本市長

私が大丈夫だというんだから大丈夫だよ。役人というのは判子を押すのを嫌がるんだ・・・

その後まもなく歩道橋計画は廃止
獲得した県予算は返還 
(?他に転用?)
大馬鹿構築物の見本・歩道橋 (観光物ではなく実用道具。しかも幅員10mそこそこの道路に!)建設計画が「松本時代」の工事着工1週間前に発覚したのは、まさに奇跡的幸運だった。今も感謝しています。

だれも渡らなかった「稔台歩道橋」を思い出していただきたい
だれもがわかるおかしなものが、何気なく出来てしまう恐ろしさを、町会ははじめて知りました。





押印責任者ではありませんが当時秘書課長 佐藤実氏 秘書課長補佐 宇田川氏【故人】(お世話になりました) 教育次長 服部氏【故人】 安全課長 相島氏 都市計画課長 荒井氏・・・皆さん懐かしく思い出します。

ほかに・・・・
松本市長

私が国から借金ばかりするというので心配するのがいるが、国が市をつぶしたという話を聞いたことがない。
それよりこんなインフレの時は、100万円で買った土地は来年は200万円だ。
公共事業をするには代替地がいる。だからこんなインフレの時は、借金しても代替地の土地を買って貯めておく。
そうすれば借金したって何の心配もない。私は市長は1期しかやるつもりはないが、その間、借りて借りて借りまくって、しなくちゃいけない道路整備ほかインフラを整備する。後の市長は楽だ。公共事業は終わっているし、インフレで土地は上がってるんだから借金返済の判子だけ押してりゃいい・・・


最近関係者から聞いた話 
ある道路拡幅の際、一軒だけどうしても移動を拒否しつづけた家があった。
松本氏は担当者を呼び、5時以降に強制執行をかけることを命令。
担当者「ほんとにいいんですか?」
松本市長「責任は俺が持つ!」
強制執行は行われたが、5時以降のため官公庁の電話は不通。

翌日、怒髪天を突く地主は革新系議員を伴い市長に面会。
その時市長は担当者を呼びつけ、「俺があれだけ強制執行だけはしちゃいけないといっておいたのに、なぜやった!!社長の俺の命令をきけない社員は首だ!!」

担当者は驚いたそうだが、地主も随伴してきた議員もそれにはびっくり!!
「ま、市長、この方にも生活があるんですから・・・そんなことまでしなくても・・・」
・・・
一件落着のあとで、市長はその担当者を呼んで、「よくやった!」

良き時代でもあったのでしょうが、当時は弁慶と義経の「安宅関」をアドリブでできた市長と担当者がいたんですね

新着情報が入り次第掲載いたします。
また、「すぐやる課太平記」のなかからも随時掲載させていただく予定です。

追記
この話をしてくださった文中の担当者は元松戸市部長、故福原勤さん(元三丁目西自治会長)です。
福原さんは、このエピソードを東京都ほかから松本市政についての講演にでたびたびお話されたとのことを、ご本人から聞きました。生前から、この愉快な話は、インターネットに載せさせていただくことについてご了承を受けておりましたが、三回忌を迎える本年(平成20年7月)あらためてアップさせていただきました。

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